普通の家
- 公開日
- 2014/09/07
- 更新日
- 2014/09/07
感動するいい話
俺が小学生の頃親父が原付に乗っていて交通事故にあった。
頭蓋骨骨折の重体だったけどなんとか一命はとりとめた。
でも大好きだった原付にも車にも乗れなくなったみたいで大分ストレスが溜まってたみたい。
それで子供達には優しいんだけど夫婦喧嘩は日常茶飯事。
すぐに手が出る親父だったから堪えかねたお袋が一人で実家に帰っちゃった。
その時何も知らされてなくて「母ちゃん遅いね」なんて兄弟3人で暢気に話してた気がする。で、何だかんだあって離婚してお袋は子供3人連れて引っ越ししたんだ
時は経って俺はちゃんと高校まで通わせて貰った。
当時は兄が俺の一つ上で大学生、妹が俺の二つ下で高校生という状況。
俺は家の経済状況が母子家庭で収入もないって事は薄々承知してたから高校出た後は迷う事なく就職の道を選んだ。
ちなみに引っ越した当初は家具は一切なく布団だけ、荷物を詰めた段ボールを裏返してテーブルにするというなかなかの極貧生活を送ってた。
で、俺が18だったか20だったかの時にお袋から「重要な話がある」と言われた。
それは親権関係の書類で保護者の欄?はお袋の名前にするか親父の名前にするかというものだった。
お袋が言うには親父に書類を書いてもらうとすると、どこにいるのかも生きてるのかも分からない親父に直接書いて貰わなければいけないらしい。