第2学期始業式校長式辞 〜3.11津波被災小学校を訪ねて〜
- 公開日
- 2018/08/27
- 更新日
- 2018/08/27
校長室
皆さんが楽しみにしていた37日間の長い夏休みも終わり,今日から2学期がスタートしました。7月、そして8月に入っても,全国各地での記録的な猛暑,それによる水不足、逆に局地的な大雨など、今年も天候の変化が激しい夏休みでもあったように思います。
この期間,大きな事故・けがもなく,日焼けし,たくましくなった皆さんといっしょに,2学期が迎えられたこと,大変にうれしく思います。
〜 省 略 〜
さて、この機会に、先生自身がこの夏休みに体験し、感じたこと、考えたことを皆さんにお話してみたいと思います。いずれも7年前の東日本大震災で津波にあった小学校のお話です。
1つめは、7月31日、福島大学主催「防災リーダー育成プログラム」で訪ねた、「仙台市立荒浜小学校」です。仙台市若林区というところに所在し、太平洋沿岸から約600mくらいに位置した学校です。
この小学校では、震災当日は、児童、教職員、住民ら320人が4階建て校舎”屋上”に避難し、犠牲者を出さずに済んだそうです。津波は2階まで達し、消防ヘリで全員が救出されるまで27時間かかったそうです。現在は、震災遺構として公開し、津波の脅威や教訓を後世に伝える施設となっています。
ここで先生が一番感じ、考えるきっかけを与えてくれたのが、荒浜小学校の校歌です。その2番に『みそらにつづくうなばらの よせくるしおに身をきたえ』という歌詞がありました。この歌詞は「美しい空に続く目の前に広がる大きな海、そして、打ち寄せる波が私たちの体を、そして、心を鍛えてくれている」、という海を讃える内容だと思います。しかし、その海は、今回の東日本大震災のように時として、大津波となり、多くの命を奪ってしまう脅威ともなるのです。「自然は本当に厳しいなあ。そして、圧倒的な自然の力の前に、これほど科学が発達した時代に生きる私たちにもどうすることもできないのか。」、と少し感傷的な気持ちにもなりました。一方で、「それでも私たちにできることがはずだ、しなければならないことがあるはずだ。」、そんな思いをめぐらせながら見学をしてきました。
2つめは、8月17日、伊達地区の校長先生方と、今年度新設された浜通りの、浪江町立なみえ創成小・中学校、大津波の被害を受けた浪江町立請戸小学校と、近くではありますが小高い場所にあって津波の被害を受けなかった幾世橋小学校を訪問してきました。後の2つの小学校は現在臨時休業で児童は通っていません。
特に、津波の被害を受けた請戸小学校は、前の荒浜小学校より太平洋沿岸からさらに近く、300mくらいに位置した学校です。大地震発生より約50分後に到達した津波は、約15mの高さ、建物およそ3階分、にも達したそうです。地域からの津波情報が早く入り、約100名の児童、教職員は近くの小高い山に避難し、これまた全員無事だったそうです。しかし、その請戸地区では、この津波で127名の方が亡くなり、今でも27名の方が行方不明のままだそうです。
請戸小学校の校舎、体育館の一部に入り、中の様子を見学させてもらいました。校舎は、7年と数か月前に大津波によって破壊されたままです。時間が止まってしまったような感じもしました。3月11日、避難し、そのまま学校はもとより、自宅にも戻れず、数年間放置されたままの状態なのです。やはり、原発事故による放射線の影響がかかわっていることは言うまでもありません。仙台市の荒浜小学校と対照的な姿に感慨深いものがありました。
東日本大震災・原発事故からの復興は多くの方々の努力と積み重ねにより着実に進んでいます。しかし、まだまた、手つかずの問題・課題が山積みであることも事実です。私たちは、その問題、課題を一つ一つ解決していかなければなりません。私たち大人も、そして生徒の皆さんも、防災・放射線教育を通して、もっともっとこれらの問題・課題に関心を待たなければならない、そして、解決の道を考えていかなければならないと、改めて強く思った先生にとっての夏休みでした。
結びに、2学期は,「桃花祭」を中心に多くの行事があります,もちろん3年生にとては受験に向けての勝負の2学期です。一人一人の生徒が,それぞれしっかりとした目標を持ち,全校生で力を合わせて,楽しい学校,そして充実した学校生活になるようにがんばりましょう。
まだまだ、残暑厳しい時期です。熱中症には注意しましょう。以上で式辞といたします。
※ 写真上「震災遺構としてパネルが展示されている校舎内」(荒浜小)
写真下「大津波被害以来手つかずのままの校舎内」(請戸小)